今までのこと

 

生まれるまで

一花はゆっくり育つ子すが。
お腹の中でもゆっくり育つ子でした。

妊娠初期からある程度小さいとは最初から言われていましたが、それがどのぐらい危険であるのか、注意しなければならないかなどは、5ヶ月ぐらいまでは言われていませんでした。
母親である私も小さいので、きっと子供も小さいのだろうと思われる程度で。

けれど、5ヶ月の頃。大学病院から診察に来ている先生にたまたま診てもらったところ、育ちが遅いのである程度安静にするようにという事を言われました。

そして、7か月の頃。
一般的な超音波では難しいので、大学病院で診察するようにと言われました。心音がおかしいというのが発見されたのもこの頃です。

大学病院での診察は、やはり頭をひねるような状態だったようです。予想がつかなく、心臓もいつ止まるかわからないので、自宅では危険と診断されました。そして、検査の翌日より入院する事に。

成長をぎりぎりまで待って出産。37週6日の事でした。
1998g
一般の先生方の計算では2000を超えていましたが。結果はIUGRの専門であった先生の予測通り、2000はとどきませんでした。出産後は抱く事も無くNICUへ。

細い細い赤ちゃんでした。
未熟児ちゃんの小ささとはちょっと違うように思えました。
呼吸が安定せず、出産後すぐに呼吸器をつけ、いったんは外れましたがやはり呼吸状態が安定しないとの事で再び呼吸器をつけました。

体の大きさもそうですが、気管が細いのもあり3kg超えるまで検査を待ちました。ようやく3kg超えてした検査。一花は検査の後に喉を切開して戻ってきました。

実は、検査の前に言われていました。検査して気管切開するかどうか決めるのでは無く、もうとっくにしなければならない状態なのだと。

今考えるとですが・・・ここまで検査や気切を待ったのは、抜管をどうにかしてあげたいという小児科の先生達の気持ちもあったのでしょうが、どちらかというと、体がオペに耐えられる状態になるまで待っていたのかな?と思えます。

喉頭気管軟化症・気管狭窄症
この頃ついた病名です。

気管切開してから状態が落ち着いたら退院。
気管切開してから落ち着くまでは半年かかりました。

9か月半でNICUを卒業です。体重はようやく4kgを超えたところでした。

退院してから3歳頃まで、風邪をひいたら気管支炎・肺炎の繰り返しでした。年齢が上がるにつれ、喘息の音も聞こえるようになりました。

そして、3歳の春。
気管支が分かれる手前にあった、狭窄の部分が悪化しました。
誤嚥や重度の喘息が重なり、症状はドンドン悪化。5分程呼吸が停止してしまう状態が何度か続きました。
オペは危険だけれど、このままだといつ窒息死するのかを待っている状態と言われ、難しいけれどオペをする事に。

オペは、当初の予定通りとはいきませんでした。50%のオペ。それ以上は軟化があまりに酷くて手を出せない状態だったそうです。

その後、2週間毎にオペ室での気管の拡張が行われました。徐々にオペ室に向かう間隔は広がりましたが、その期間は1年以上となりました。

長い長い治療を経て、4歳の春頃にはとても元気になりました。カニューレのサイズも太くする事ができ、それに伴いグングン成長していきました。
4~5歳と、無呼吸の発作が酷くなり、救急車で運ばれるような事もありましたが、それ以外はとても元気に。風邪での肺炎もなくなりました。

幼稚園を年中、年長と通いました。日数としては半分も通えずでしたが、それでも先生やお友達が大好きで活発な女の子へと成長。
そして、知的や身体にハンデはありますが、校区の学校へと支援を受けながら通っています。

学校から帰ったら、急いで宿題をして公園でお友達と遊びます。
数々の病気をかかえながらも、誰よりも活発な女の子です。

© 2011 花のいっぽ Suffusion theme by Sayontan Sinha