とても久しぶりに日記を書きます。

ここに書くことをやめてからもう2年近くなるのかな?もう訪れる人もいないとは思うのですが。
気管切開していた子供が、入学してさまざまな体験をし、こうして無事卒業できたこと。これを読んで、まだ小さな気管切開児ちゃんを抱えたママ達が、少しでも希望を持ってくれたらと思い、一応書いておこうかなと。

全く声が出ない状態で入学した彼女。医療ケアがある状態での小学校入学。
看護師さんの配置など、恵まれて無い地域での入学。母親が学校で待機しなければならない。
『お母さんが熱を出したら、○○さんが学校を休まなければならないでしょ!』と、委員会から反対されての入学・・・

そこから始まりました。

行政がやってくれないのならば。学校内でと、保護者全員に、看護師の資格のある方のボランティアを募ってくださいました。2年生の終わりくらいから、4年生の終わりにカニューレが抜けるまで。2名のボランティアさんが、各、週1~2程通ってくださいました。なんて嬉しかったことか。
勿論、子離れできることの嬉しさもありましたが。ちょっとした心配ごと、日々の状態など話せる相手がいることが何より幸せだった。退院してから入院する以外のケアは、自分がどうにかしなきゃと必死で踏ん張ってやっていたから。こんな幸せなかったなーー
そして二人とも。とっても可愛がってくださりました。卒業も凄く喜んでくださっています。

卒業式では泣かずにしっかりと式を見ました。
それまで、1週間、さまざまなことがあり泣きっぱなしな母でしたから。最後はしっかりと見ないとと。
けれど、式が終わり。1年生の時の先生と顔を合わせたら・・・もう涙が止まりませんでした。

『お母さんが最初に話したのが良かったの!』と。

この最初の話・・・

これは、入学して何日か後に、クラスの子供達に向けていっちのことを話させてもらったんです。

1年生にわかりやすいよう、呼吸の話から。息はどこでしているか。
みんなは息をどこからしているか?口や鼻。けれど、いっちゃんは息が普通にはできずに生まれてしまって、お医者さんが息がみんなみたいにできるように、喉に息をするところを作ってもらった。
口や鼻を塞がれたらみんなどうなる?じゃあいっちゃんはどこを塞がれたら苦しくなる?・・・
今は病気でこうして喉で息をしているから声が出ないよ。いっちゃんがお喋りしたいなーって思っても声がでないから、『とんとん』って叩くと思うよ。けどね、少し痛いかもしれない・・・したら、優しく注意してあげてね・・・

みたいな話を。

何日か後には、『いっちゃんを守る会』が出来てました。男の子達が親衛隊みたいなの作って(笑)
私が待機しているところまで、みんなで休み時間に来たりしました。

吸引もみんなのいる前で普通に行いました。当たり前ですが不思議そうに見るので、説明しながら吸引しました。

放課後も当たり前に公園で遊ぶ約束がされ。吸引器を背負ってまた公園で見守りながら待機です(笑)

凄く体が小さかったこともあり、学校全てのクラスに、『いっちゃんて言うんだよ~可愛いでしょ~』と、支援級の先生が紹介がてら遊びに連れて行ってくれました。
そのおかげで、公園でも上級生が遊んでくれます。追いかけっこして、『いっちゃん、あいつだーあのおにいちゃん追いかけろー!』とかね。

病気は軽くは無く。2年の時は長期入院もありました。
作文に男の子の友達が、『いっちゃんがいなくて、すっごくつまんない!』って書いてくれていました。

1~2年の頃は、お互いの家を行き来する、親友と呼べる仲良しのお友達がいました。そして、3年~5年までもそれまで以上に喧嘩もする程仲の良い友達ができました。

声が出るようになったのは、2年生の夏頃です。
1年の時に特注でスピーチを作ってもらいましたが、それまで声漏れさえなかった彼女はなかなか声を出すことができずで。

それからゆっくりゆっくり声が増えていきました。
今もまだ聞き取りは難しいところが多いですが、声が出なかった頃からずっと一緒だった同じ学年の仲間達は、全て理解できています。以前は私が彼女の通訳をしていたのに、友達が私に通訳することも増えています。

学校まで最初は歩いて45分くらいかかりました。大人の足では7分くらいで着くかな。
息が続かず、座っては歩いて座っては歩いてを繰り返して。
今では25分。それでもかかるか(笑)けれど、私の付き添い無く、一人で登校しています。・・・というのは彼女の手前だけで、私は遠くで見つからないように校舎に入るまでは見ていますが(笑)

現在、身長120cm。
このサイズの中学生か・・・という感じなのですが(汗)
制服はまさかのフルオーダー。上履きもそのサイズは生産されていません・・・なんていわれる始末(汗)
学校でも、電気のスイッチを下げてくださったり、廊下の曲がり角にカーブミラーをつけて、みんなにぶつからないように気をつけてもらうことになりました。ぶつかってつぶされないように(汗)だそうです。中学の先生も色々考えて待っていて下さっています。

つらつらと書いてしまいましたが。

親が子と離れることはとてもとても大切で。離れたところでしっかりと子供は育って行って。困ったことは先生に頼み、友達に頼み。一つ乗り越えては子供は大きくなっていって。
付き添いをしていた頃、大変だったことはものすごくあったと思うのだけれど。今思い返すと、幸せな時間としかどうしても思えなくて。けれど、そう思えないくらいになっているのは、今、私の手を借りず、最初は看護師さんのボランティアさんだったり、支援級の先生だったり。今は回りにいるお友達だったり。その中で彼女が一人で過ごせるようになったからこそ、昔付き添っていたのが良い思いでとして、幸せな時間と思えるんだろうなーと。

『明るい性格を生かして中学でも頑張れ!』
『いっちゃんはいつもニコニコしていたから、私まで嬉しくなったよ!』
『いっぱいしゃべれるようになったね!中学になってもしゃべろうね!』
『いつも笑顔のいっちゃん。私まで幸せな気持ちになったよ!』

・・・卒業アルバムの寄せ書きにはこんなことが沢山書いてありました。
ニコニコ明るいキャラだったんだね(笑)そういえば、いつも友達を笑わせていたみたいだもんね。

カニューレを抜管した後の気切孔、。まだ縫われていません。
縫うことはまだまだリスクが高いので、永久かもな・・・気切孔まだまだ活躍していますしね。
けど、それでも楽しく過ごせれば。それだけで充分幸せです。

あ。本当にたらたらと書いてしまいましたが。
さまざまな障害を抱えてはおりますが、今後も地域の中学へ入り頑張ります!
長文、ここまで読んでくださりありがとうございました!
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